66時間30分着用後の66後期デットストック
LEVI'S 66後期デットストックを着用してから66時間30分が経過したので、記録に残しておく。初回のブログでもお伝えしているが、アサガオの経過観察のように成長を日記に記しているので、退屈を覚悟でお付き合い頂きたい。
フロント
まずはフロント全体写真を前回と比較してみたいと思う。
左の写真が39時間19分着用後。右が今回の66時間30分着用後である。
だいぶ自分のカラダにフィットしてきた感じがする。
股の部分から放射状に広がるシワが、前回よりも鮮明に映っていると感じた。
バック
後ろからのシルエットを前回と比較してみる。
左の写真が39時間19分。右が今回の66時間30分。
膝裏部分の屈みジワが、前回よりも鮮明に映っていると感じる。
全体的に、穿きジワが定着し始めてきた。
このように観察記録を残しておくのも案外楽しいものである。
ヒルシュ・ストラウス
さて、66後期デットストックの経過観察だけでは少し物足りないので、このブログからは、LEVI`S501の歴史をみなさんと一緒に学んでいきたいと思う。
ヨーロッパにおける「ユダヤ人迫害」は、宗教上の問題から始まる。
キリスト教は、ユダヤ教に起源を持つのだが、イエス・キリストの死後に分離し、キリスト教徒はイエス・キリストを救世主として認めなかったユダヤ人を蔑むようになる。
その後、ヨーロッパ中にキリスト教が広がると、ユダヤ人は「キリスト教を冒涜する存在」として、人々から憎まれる。
職業も自由に就くことが出来なくなる中、ヒルシュは数少ない職業のひとつである行商人として生計を立てていた。
ヒルシュは亡くなった前妻とのあいだに5人の子をもうけ、後妻とのあいだに2人の子をもうけた。
1829年、ババリア(現在のドイツ、バイエルン)にて、ヒルシュと後妻であるレベッカの間に2人目の子が誕生した。
男の子で、名前は「ローブ」。
レベッカ・ストラウス
ヒルシュが病で亡くなったあと、再婚をするが、その再婚相手もすぐに亡くなってしまう。
当時、ユダヤ人として生きていくことがどれほど大変だったのだろうか。
子どもたちのうち、上の4人はすでに国を出ており、残っているのは2人の娘と17歳のローブだけであった。
レベッカは、4人一緒に国外行きを決めるのである。
移民という選択。どれほどの思いだったのだろう。さらに、出国するまでに様々な手続き書類があった。
そして1848年、ニューヨークに到着したころ、ローブは19歳になっていた。
ジョナスとルイス
ローブの義理の兄であるジョナスとルイスは、最初にアメリカに渡った長女のルースラを頼りにアメリカへ渡った。
ルースラは行商人の夫と暮らしており、そこでジョナスとルイスは商売のノウハウを学ぶ。
そして、卸売業を営み、自分たちの店を持った。
レベッカ達は、ジョナスとルイスを頼りにニューヨークへ渡る。
そしてローブは、ジョナスとルイスの仕事を手伝い始めるのである。
ジェームズ・マーシャル
レベッカ達がニューヨークに渡った1848年、アメリカ西部サッターズ・ミル(サクラメント北方)で、ジェームズ・マーシャルが金(ゴールド)を発見する。
それを聞いた人々は、一攫千金を狙い、遠い地域から一斉にゴールドを掘りに動き始めるのだ。
翌年の1849年にニュースで話題となり、これが「ゴールド・ラッシュ」と言われている。
物語が長くなるので、今回はこの辺までにしておくことにする。
お付き合いありがとうございました。